陶芸家・熊本栄司の陶芸春秋

陶芸家・熊本栄司の日々の活動や思い、陶芸家としての喜怒哀楽を綴ります

RSS     Archives
 

スポンサーサイト

 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 

機能性

 
いつの間にか・・・



「器は使いやすくなければいけない」

「軽くなければいけない」

「丈夫でなければいけない」

「シンプルでなければいけない」

「重ねができなければいけない」等々

・・・という風に思い込んでいませんか?



人によって器に対する要求はそれぞれなのでそれは
それでOKでしょうが・・・・

こういうのって「機能性」って言うのでしょうか?

機能性重視で、食べるための道具としてだけの器なら
最初から給食で使うプラスチックのような食器でも良いと思ってしまいます。

使いやすいし洗いやすい、軽いし、丈夫で、シンプルで重ねもできる。
完璧だ!

だけど一般の家庭でも給食の容器は使わないのが
大半だと思われます。

やはりいくらなんでもそれでは抵抗があるからでしょうか?

・・・であるならば・・・

よく雑誌の器特集で、わかってんだかわかってないんだかの、
評論家やら器屋のオヤジやギャラリーのオーナーが出てきて
「使いやすさ」と「シンプルさ」を連呼している意味が私にはわからない。

パソコンのスペックでもあるまいし、いちいち機能性第一をなぜに個人作家が
作る作品にまで、それを要求するのか?がわからない。

器を扱う専門家でさえ、ある種の約束事が器選びの基準として
洗脳されているんじゃないか?ってよくそう思う事があります。

給食の器で機能的には十分・・・しかし、そうではない所に重点を置くのであれば
なぜにいつまでも手作りの器、作家ものの器に対しても機能性を最重点事項として
語っているのかが、ある意味不思議ワールドです。

機能性以外の魅力や特色を語るのが評論家や店の主人なのでは
あるまいか???

豊かな表現の器の中に機能性が実はこっそりと隠れている・・・
そうあれば最高なんですが、器への酷評が機能性という部分の指摘というのは
どう考えても近視眼的見方としか思えないんです。

機能性という部分を指摘されるのがイヤだから、いつの間にか器の作り手さえも
機能性部分だけを重視し・・・もっといえば機能性は完璧・・・・だから器としても
高得点!と錯覚してしまい、器が持っている真の特徴が後ろの方に追いやられて
しまっては本末転倒。

(器の表情が良くても使い勝手が悪いこそが本末転倒って言われるんだろうな!きっと)

貫入が入ってしまう器は汚れていく?美しさ。

低い温度で焼いたほこほこした器は当然に欠けやすいけど、そのほこほこ感は
低い温度でしか表現できない。

荒々しい岩をくり貫いたような器は当然重いし、いびつな形をしているが故に
重ねる事も難しいし、収納するのも大変。

機能性だけを重視した場合、上記のような器は論外という事になってしまう。

作品が発する魅力・・・(それは端整な形でもありバイオレンスな形もあり)よりも
機能性を第一に持ってくると、やはりどこか順番が違っているんじゃないか?って
私が作る時はそのように思ってしまう。

まあ、先に書いたように器に対しての要求は人それぞれだから、自由に
やってもらえば良いと思うし、誤解なきように書いておきますけど
器は機能性が優れている事にこした事はありません。

ただ・・器を製作する時に・・・あまりにも機能性を気にして手が止まっている
生徒さんをみると・・・

いや・・・生徒に限らずプロの作り手の中にもいるかも
知れないけど・・・

とにかく、機能性は後回しにして自分が使ってみたい器を作って
みましょう!

重くても、収納できなくても構いません。

今日は日曜日ですが臨時の陶芸体験がありました。

あるオジサンがろくろで皿を作ったのですが、中心が盛り上がっていて
機能的に考えれば駄作?なのですが、作った本人さんは
「これは、おもしろい!」と言っていたのがとても印象的でした。

「この皿は汁がふちに溜まるな~!おもしろい、あははは」

機能的に優れているクオーツ時計や電波時計よりも機械式時計の
方に愛着が湧いてしまう私なのでありました。

ブログランキングに参加してます。

人気blogランキングへ

banner2.gif




スポンサーサイト

Comment

No title

ハプーさん

またまた長文のレスありがとうございます。

お互いがんばりましょうね!!!

あ・・・それから・・・

>熊本さんは 実用性を持った器を 店に卸してはりますか? 委託販売されてますか?

まったくしてません!(笑)

2008.04.15 | 熊本[URL] | Edit

いや 道具として等価なんですよ

謙遜でいってるんじゃないんです 
ピクニックなら紙コップ ¥1くらいかな 
山では進化したチタンのクッカー 2点組み¥8000
家庭の日日の食卓なら ぼくのご飯茶碗 ¥1500
手づくりやから高くなる が 作家物よりはるかに安い
駄もの ゆえに・・・誇らしく 自信持って 安く売る

買ってる人 が なにを買ってるか 自覚してない
売ってる人 が なにを売ってるか 自覚してない
作ってる人 が なにを作ってるか 自覚してない

作品としなもん を分かりやすくするために
表現の器には 実用性・機能性ではなく表現を執りました を表す
アートマークを張ってもらって もっと高くしてもらうべきかも 
湯のみやメシワンで ¥5000くらいとか・・・

熊本さんは 実用性を持った器を 店に卸してはりますか? 委託販売されてますか?

うちは ボクが現場で売るのと 店で売るのが金額的にはおなじ 50%での卸しなんで お店では2倍のしなもんを買おてもらってる 実際のぼくとも ブログともカンケーなく 2倍 買おていただいてる・・・ 

使い手 エンドユーザーが 作品と思おうと しなもん と思おうと 
ぼくを 陶芸家と思おうと やきもん屋と思おうと けったいなオッサンと思おうと 
関知できないし コントロールできない また する必要がない 
物そのもので勝負したい これが念願

現場のぼくも ブログのぼくも 余禄余興余技  物 そのものには かえってジャマかも 
物が いい道具であれば 使い手に 満足してもらえる どーゆー購入動機 販売形態でも カンケーない 使って役立つイイ道具をわたすしかない やきもん屋 はこの地平に立ってると思う 陶芸家とはちょっとちがうんやないでしょうか それとも同じか? いい の定義がちがうんかな?

むかしから言ってる店は言ってた と思うし
今も言わない店は言わない とは思うんですけど
手づくりの実用のやきものを扱うお店が 機能 丈夫さ 使い勝手 を 
作家物 にまで言い始めてるんやとしたら・・・・

手づくりの両方 やきもん屋&陶芸家 こみこみで 
実用性を持つ器に関して 次の時代が来つつある ってことではないでしょうか・・・  

前よりも それを言う店が 増えてるとしたら 懲りた んやないでしょうか 
ツナギ手として 作り手と 使い手 の橋渡し役がかぶらんなん 
クレーム対応の苦労に懲りたんやないでしょうか・・・・
実用性高い手づくりを より分けたい という 悲痛な訴えかも・・・

お店=売り手も勉強して 覚悟ある仕入れとアキナイをせんと 
使い手にそっぽ向かれる やっていけない状況になる その現われかも・・・・

まあ ぼくは覚悟決めるために 
しなもん やきもん屋 紙コップと等価 と 自分で自分にレッテル張って 
一般向けには  この品は機能重視です と言葉を立てて 
物に事実を与えて 使えば分かるよーにする と・・・


 あのー 言うときますけど・・・ 
 アート器の存在自体については 擁護派ですからねー
 器における表現追求派と 実用性追求派の混在
 それがもたらす混沌 売り手使い手への弊害除去のための 試論ですからねー 

 そこんとこヨロシク♪

 まあ この辺が決着かなぁ・・・ 

2008.04.15 | ハプー[URL] | Edit

No title

ハプーさん

長い書き込みありがとうございます。

ハプーさんのおっしゃておられる事は理解できます。

ですが、「作品」と「品もん」の境界線が第3者に
してみるとやはり・・・やはり・・・
非常に曖昧に思われてしまうんじゃないでしょうか?

以前、名古屋ドームでハプーさんの作品(ハプーさんでいう品もん)を購入させていただきましたが、私の
中では紙コップや機械量産の食器と等価として決して買ってないんです。

ハプーさんが「品もん」と思われていても、買う側としては八風窯の中根さんが作った「作品」として買っていたのでありました。

正直、機能性っていうのは私にはどうでもよかったんです。ごめんなさい。

ハプーさんが作った器のロクロ目や糸底を見て、作り手としての「中根さん」を垣間見るという「楽しみ」が
なければ、買わないです。

機械生産品にはそれはまったくありませんから
やはりハプーさんの作品(品もん)は機械品と
等価ではまったくないですね。

それにハプーさんの器を紙コップと同等=等価として買っている人はいないんじゃないでしょうか?

ネットやブログや販売会場でハプーさん(作り手)を
見て買っているんじゃないでしょうか?

紙コップと比べると値段が高すぎますし(笑)
そこまで「謙遜」される事もないと思いますけど・・・

こういう話は禅問答のようにキリがありませんし
ハプーさんが「品もん」として作っておられるなら
「品もん」という事なんですが・・・

やきもん屋としてのハプーさん、陶芸家としての
私・・・・

似て非なるモノ
でも似て無くてもどこか同じ。

そんな気がするのですが・・・・・

でも焼物をとりまく環境は非常にきびしい。
それは共通してますよね!





2008.04.15 | 熊本[URL] | Edit

時と場所と目的

えと ぼくは山に登るんですが そのとき自作の食器は持っていきません チタン製の特別軽い上等のクッカーを持って行って 煮炊きして そこから直接 食べます♪

オキナワ壷屋の絵付けのおばあから聞いたけど 戦中の壷屋は 軍隊用のつや消しの黒い食器の特需で忙しかった とのこと 白で光沢釉やと敵にみつかるから・・・軍隊用の食器 いまはやきもんではないでしょう 重いし高いし きっと プラスチックか金属の トレーと碗

学校もムリでしょう 軍隊とおなじなので でも がんばってるとこもあるみたい 
小規模校で伝統地場産業の木工を学校給食用に 使ったりする 幸運なトコもあるみたい

家 ではどうでしょう? 家庭 ではどうでしょう?
30歳なかばで 未婚 両親の家に同居 システムエンジニア 激務 遅い帰宅 早く終わった夜もジムに行く基本外食 朝 すこしでも寝ていたい から ギリギリに起きて 朝食作り プラスチックトレーにサーブ ガチャガチャと洗って 家を飛び出す・・・家の食器は母の好み そこに私の食器を入れる余地はない 手づくりのやきものはよくわからない わたしの暮らしにあった使える道具としては プラスチックトレーが理にかなってる

こーゆー聞き取りをしたことがあります♪

彼女は高級とりでもあって 海外旅行が趣味
免税店で買い集めた 500万円分の時計の
コレクションを持ってる♪

こーゆーヒトに 「なごめる やすらぐ 使える道具」 として ¥2300でうちの品を 買っていただくのが 夢

ぼくのやきもん屋の夢=生き延びる活路 は
いま やきもんを買ってない層 を市場化すること 

時と場所と目的 があり 使い手 さまざま

ぼくとこは 今はてづくりのやきもんを買わない 潜在してる膨大な中間層の家庭食器 をこそを市場としてとらえ 手づくりのやきもんの機能性=スペック でもってその市場を切り開くつもり です♪

2008.04.15 | ハプー[URL] | Edit

でもすでに・・・理解はされてるのかも?

ぼくのしなもん 買ったひとは ぞんざいに気安く ふつーのヒトの ふだんのくらしに使い 
そこらにぶつけたり がちゃがちゃ洗って 電子レンジでチンしたり オーブンで焼いたりしてくれて いずれ割り捨ててくれたはる・・・・といーことは・・・

作品を作る方向性や考え方、はたまた、作った作品がお客さんに渡った後の扱い方(扱われ方)等は
なんとなく同じ焼物でも熊本さんとぼくは違うような
気がするんですねー(それが悪いと言っている訳じゃありませんよ)

 これは 
 やっぱり 
 一般のヒトが    
 私は すでに 理解している 
 ってことじゃないかと・・・・

表現も美もめざさない それは2次的要素としておいて置いて 売れるやきもんを生産する 駄物;だもの の世界 ぼくはそこにいてるし そこがあったかい 

こっちが やきもんの本流 で
陶芸家は あとからできた世界 やと思うなぁ
陶芸 って言葉は 加藤唐九郎さんの作った言葉で
大正昭和に広めた言葉 やと聞いたことがある ほんんまかどーか調べたが 今のところわからない・・・

どなたかご存知やおへんやろか?

         
  


2008.04.15 | ハプー[URL] | Edit

むずかしいけど・・・

むずかしいけど 一般のヒトに理解してもらえるよう
やきもん屋も 陶芸家も 努めないと 前にいけない と思う

板谷波山や 魯山人や 富本憲吉や・・・・近代の陶芸家 日本のやきものの伝統美の基準の枠内で
工芸美を高めることで 陶芸家たりえた時代 と
走泥社 賀守田章二を経て 世界基準の現代陶芸と出会い 表現の前衛を生きる陶芸家の時代とは ちがう

陶芸家=アーティストの意識で 作品制作するものでも
トップランナー=前衛ではなく 後衛=追随する第2列以降のヒトの意識は トップのそれとはちがう

やきもん屋は 自分の品を 作品とは言わない しなもん という 作品とは 座標軸 土俵が もともとちがう

やきもん屋の生産物 を一般のヒトに理解してもらうために ぼくの品は 紙コップや機械量産の食器と等価=同じです ということにしました♪

2008.04.15 | ハプー[URL] | Edit

No title

ハプーさん

お久し振りです。お元気でご活躍の様子はブログを拝見させていただいております。

さて・・・前からちょっと疑問に思っていた事があるんですよ。

一般の方って「陶芸家」と「やきもん屋」の区別ってできるのでしょうか?

私は「陶芸家」でも、「やきもん屋」でも、「芸術方面活動家」でもなんでも良いのですが
便宜上、自称「陶芸家」という事にしています。

これは世間一般の呼び名として、他人に説明するのに「陶芸家」が一番理解されやすいからなんです。

別に「俺様は陶芸家だ!そこのけそこのけお馬が通る」っていう訳じゃないんです。

しかし、一般的に私は陶芸家でハプーさんはやきもん屋・・・という風には理解されにくいのではないかな~?

(そもそも「やきもん屋って何?陶芸家の事でしょう?」って事に絶対になると思う。)

一般の人からみると土を焼いて器を作っているという行為は同じですのできっと判別不可能だと思います。

ただ・・・作品を作る方向性や考え方、はたまた、作った作品がお客さんに渡った後の扱い方(扱われ方)等は
なんとなく同じ焼物でもハプーさんと私は違うような
気がするんですね。
(それが悪いと言っている訳じゃありませんよ~)

そこが、ハプーさんの言われる陶芸家とやきもん屋の違いと仮定しても世間一般にその違いを浸透させるのは中々に難しいですね。

それはやはり陶芸(焼物)の世界というのは、職人的技術の介入なくして語れない部分が多いからかも
知れません。

だから陶芸家と一口に言っても、職人とアーティスト?との間を右往左往しながら作品を作ってますんで、
作品も職人的な事に対しての評価や芸術としての評価が
ごちゃまぜになってしまっているのが、これまたややこしい問題なんですよ。

だから、一般の方は陶芸家とやきもん屋との区別はつかないだろうし作品を扱っているお店や画廊、雑誌等の
メディアにしても、やっぱりそこらの区別はつかないでしょうね。

あははは・・・どうしましょう?!

やはり、最終的には黙して語らず、作品のみが語るって事になるのでしょうか?

2008.04.14 | 熊本[URL] | Edit

No title

まるさん

もう、この問題は陶芸をやる人の「試金石」と
なっておりますね~。

やはりここにも理想と現実という壁が出てきます。

個性第一に持っていくと、中々売れないという事も
ありますし、そこそこ使える器と言っても何も特徴が
ないと見向きもされません。

個性的かつ機能的な完璧な器?!

私も勉強しま~す!!

2008.04.14 | 熊本[URL] | Edit

うん そのとうり!

そのとうりです 陶芸家 と やきもん屋 はちがうのに
それが ごっちゃになってる 
そのことが分かる 作り手と 売り手と 使い手 を作らなければ いつまでたっても 堂々巡り やと思います

このことについて 益子でまなんだことを 
近く 書きます 忌憚のない ご意見お聞かせ願えれば幸いに存じます ♪

2008.04.14 | ハプー[URL] | Edit

No title

うはっ!
私の今のジレンマそのままです~。
機能を重視するのなら、手づくりである必要が無いのでは?
作家が作るなら、もっと個性を重視した方が良いのでは?
まさにその通り!
私も機能性の呪縛から解き放たれたいと思う今日この頃です。

2008.04.14 | まる[URL] | Edit

    
プロフィール

熊本栄司

Author:熊本栄司
陶芸家・熊本栄司

三重県四日市市在住。
陶芸ビエンナーレグランプリ。
朝日陶芸展 秀作賞・新人奨励賞。
日展など多数の公募展に入選。

岐阜県瑞穂市の市章をデザイン




カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -


ブログ内検索

最近のトラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。